第 4 回 海に流出した汚染物質のゆくえは……?

小川先生

研究テーマ 4 代表 : 小川 浩史
東京大学大気海洋研究所
海洋化学部門 生元素動態分野 准教授
研究分野:生物地球化学
東京大学大学院 新領域創成科学研究科による紹介ページ:
http://www.k.u-tokyo.ac.jp/pros/person/hiroshi_ogawa/hiroshi_ogawa.htm
 

▼ 陸から海に流れ出た汚染物質
▼ 1.人為起源有機化合物 ―― Hopane, PAH, LAB, PCB, PBDE, HBCD
▼ 2.重金属 ―― Pb, Cu, Cd, Zn, Pt, Hg
▼ 3.耳石、貝殻中の重金属組成 ―― Pb/Ca, Ba/Ca, Sr/Ca
▼ 4.陸起源天然有機物 ―― δ13C,δ15N,Lignin
▼ 大槌で学ぶ若き研究者たち
▼ 三陸の漁業復興のためにも「海の精密検査」を

陸から海に流れ出た汚染物質

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 今日は班の研究についてお話しすればいいんですよね?
メーユ
 班長の研究も聞きたいですが……、そうですね、まずは「小川班の研究テーマ」についておしえてください! 班のテーマは「陸域由来の環境汚染物質の流入実態の解明」、つまり「陸から海に流れ出た汚染物質が実際はどうなっているか、解明する」ということでよいのでしょうか?
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 その通りです。東日本大震災では、家屋や送電線や車など、さまざまな物が海に流れ出ましたよね。石油コンビナートの火災などもあったし、工業用原料、農薬や医薬品なども波にさらわれているはずです。
 陸上に天然にあった物質と、人為的に造られた物質、湾内に堆積していた物質が巨大津波によって海域へ出たけれども、広い海の水の中で、潮や風の流れもあって、そうした物質はどんどん拡散されて希釈されてしまうでしょう。しかし食物連鎖を通した生物濃縮といった問題もあります。
考えるメーユ
 食物連鎖? 生物濃縮? 小さな生き物を大きな生き物が食べて……、大きくなるほど、小さな生き物たちから食べてきた物が、お腹や体の中にどんどんたまっていくということ?
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 そうです。海の中の食物連鎖というのは、まず植物プランクトンを動物プランクトンが食べて、それを小さな魚が食べて、小さな魚をもっと大きな魚が食べて、そしてそれらの糞や死骸をバクテリアが分解して……というのがくり返されています。生態系全体で見ると、大きな生き物ほど数が少ないピラミッド型になりますね。食物連鎖の中で最初に食べられる方の小さな生き物には、体の表面に微量の汚染物質がくっついているだけだったとしても、それを食べる大きな生き物、さらに大きな生き物と、ピラミッドの上位になるほど汚染物質が蓄積されていくことになります。漁師さんたちにも大問題なわけです。
食物連鎖

【図1 海の中の食物連鎖】

1.人為起源有機化合物 ―― Hopane, PAH, LAB, PCB, PBDE, HBCD

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 分析を行う対象物のことを「試料」とか「サンプル」というのですけど、魚や貝や海藻といった水産生物を調べるのは基本的に水産庁がやっていて、このプロジェクトで我々が調べているのは、海水や泥といった「環境試料」がベースです。一部、生物試料も分析しているのですけれどね。この班の中は4つの研究体制に分かれていますが、それぞれの分析グループの仕事をご説明しましょう。
研究体制

【図2 小川班の研究体制】
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 この中でPCBというのはポリ塩化ビフェニル、簡単に言うとプラスチックの仲間の物質で、1960年代から70年代にかけていろいろな工業製品に使われていました。大変な有害物質ですが、高度成長期にはそうした物質が川や海にたれ流しにされ、深刻な公害問題が起きましたよね。PCBは1975年に法律によって製造禁止になって、それまでに製造された物は厳重に保管されていたのですが、巨大津波によって三陸沿岸に保管されていたものが海に流された可能性があるのです。
びっくりメーユ
 ええっ……! 保管していたというのは、簡単には蓋が開かないように容器か何かに閉じ込めてあったのですか?
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 そうですね。しかし長期に渡って考えると、海の中でそうした容器が腐食していって、少しずつ漏れ出してしまう可能性がある。もうひとつ心配されるのは保管されていたものとは別に、かつて(製造禁止になる前の高度成長期に)海に流されて、沿岸海底の泥の中に残って埋もれていたものもあるはずなんですよ。それらも津波でかき回されて、泥の下にあったものが表に出て海に流れてしまった可能性も考えられるわけです。
メーユ
PCBなどの汚染物質はすでに数値として表れたりしているのですか?どうやって検出できるのですか?
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 現状では、大槌湾での数値は環境基準以下で深刻な環境汚染は生じていません。でも環境基準というのは環境省が作っているのだけれど、行政が検査を依頼するのは通常コンサルタント会社で、彼らは環境基準より低い数値を測る必要はないので、基準を下回っていれば数値に表さずにそれで報告が出せるわけです。しかし東京農工大学の高田秀重教授の研究室は、高度な最先端の分析技術で、そうした環境汚染物質の存在と動態を解明できます。
考えるメーユ
 分析する試料ってどうやって採るのですか? 船で採取? どこで分析するんです?
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 “UFOキャッチャー”って知っていますか?
にっこりメーユ
 ああ、アームや籠みたいな物でガバッと人形をつかむ……。
  採泥器 
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 泥の場合は、まさにあのような形の「採泥器」というのを使って採取します。ときどき木や貝などが混入しているので、それらを取り除いて均質なサンプルにし、実験室に持ち帰って分析します。
 
採水 採泥 ろ過


2.重金属 ―― Pb, Cu, Cd, Zn, Pt, Hg

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 これら金属元素は、鉛(Pb)・銅(Cu)・カドミウム(Cd)・亜鉛(Zn)といった、もともと自然界、天然にある物質ですが、それを抽出したり精製して重金属製品ができていますよね。例えば鉛は車のバッテリーに使われています。それらが腐食にともなって、ジワジワと溶け出してしまうことが考えられます。
困ったメーユ
 ものすごい量の車が海に流れ出ているはずですよね……?
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 そうですね。水銀は水俣病の原因となった物質ですけど、われわれ日本人はあの物質で大変な経験をしましたよね。東京大学大学院新領域創成科学研究科の穴澤活郎准教授は水銀(Hg)の専門家なのでプロジェクトに加わってもらったのですが、穴澤研究室では環境省による基準の10万倍の高感度で検出できる技術があるんですよ。
マーキュリー

【水銀測定装置「マーキュリー/MA-3000」】感度:0.01ppb~120ppm
びっくりメーユ
 10万倍?!
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 環境省の調査の下限値は1ppmまで。穴澤研究室では0.01ppbという値まで検出できるのです。
それから、重金属の中でもプラチナ(Pt)は、陸上にはあっても海中には本来はない物質です。ですからこれが検出されたら、その周辺には必ず陸域から来た重金属が何かあるということになります。
メーユ
 そうすると、そのありかを探して引き上げる、ということにつながるのですか?
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 そうです。「ホットスポット」と呼んでいますが、そうした汚染源が特定できたら、行政へ提言して、そこで汚染物質を除去してもらうことができますね。そうすれば、漁師さんたちは安心して漁を続けられることになります。

3.耳石、貝殻中の重金属組成 ―― Pb/Ca, Ba/Ca, Sr/Ca

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 このグループは貝などの生物試料を分析していますが、ここで「マッセルウォッチ」という、世界的な基本手法についてお話ししましょう。マッセルとは日本で言う「ムール貝(ムラサキイガイ)」のことで、世界中どこにでもいる貝なのでムール貝を分析することで比較ができ、「ムール貝を見て、環境汚染を知る」とも言えます。貝の“身”の部分、脂肪の方には主に有機化合物が蓄積されますが、殻からは重金属の汚染物質を知ることができます。
メーユ
 他の貝ではダメなのですか?
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 たとえばアサリでやろうとしても、アサリがいない国もあるので、比較ができないんですね。アサリとムール貝を比較しても、濃縮の仕方とか生理特性が違います。ムール貝同士を比較することで、そうした生物の種類の違いによる影響を無視して、その土地の環境がわかるのです。
考えるメーユ
 ムール貝ってそんなにどこにでもいるのですね……。河村班長にアワビのお話しを聞いた時は、地震と津波で子どもの貝が流されてしまったから、親になる貝が育たないということでしたけど、津波でもいなくならなかったのですか?
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 ムール貝は岸壁などに付着している貝で、とても強く、地震と津波が起きた後もたくさんいますよ。船底やブイにもくっついて問題になったりしています。
びっくりメーユ
では大槌湾のムール貝は、震災前にサンプルとして採った貝と、震災後に採った貝があるのですか? 震災前の貝もあれば、比較できる情報があるということ?!
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 そこが重要なポイントなのですけれどね。大槌湾では震災後のムール貝はあるのですが、震災前は採取していなかったのでないのです。どこか他の研究機関の研究者が採っていると思ったので、リサーチをかけたのですが……あったのはアサリでした。しかし、同じ場所のものはないけれども、震災後のムール貝を大槌湾と別の場所で比較することはできますね。日本全国のデータがありますから。
にっこりメーユ
 なるほど! すると、例えば東京湾のものと比較するとか、地震と津波の被害を受けた海と、そうでない海のムール貝という、環境の違いは反映されますね。
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 貝殻には表面の殻に木の年輪のような輪紋が刻まれていて、日にちがわかるんですよ。2011年3月11日の情報も刻まれています。ですから貝殻に含まれる重金属については、いつごろ濃度が上昇したか? などを知ることができます。
びっくりメーユ
 へえー! 殻からそんなことまでわかってしまうなんて!
ムラサキイガイ   ムラサキイガイの切片

【写真左:ムラサキイガイ(ムール貝)】蝶番から縁辺までを切断・研磨し、化学分析と成長線解析に用いる。
【写真右:成長線解析の結果】貝殻の断面図。大潮ごとに明瞭な成長線を対応させていくと日付がわかる。
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 実は先ほどの「震災前と後の影響を、採取したムール貝で比較できないのか?」という疑問も、一つの貝があればわかるのです。それまでの情報が刻まれていますから。
にっこりメーユ
 カレンダー付きのタイムカプセルなのですね!

4.陸起源天然有機物 ―― δ13C,δ15N,Lignin

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 陸起源天然有機物というのは、森林の木々や枯れ枝、落ち葉、土壌など、もともと陸上にある天然の有機物のことです。
メーユ
 そういう天然のものでも、普段と違う異常な量が海に出たら、生態系に何らかの影響があるということですか?
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 考えられますね。この中でリグニン(Lignin)というのは、海の中にはない「高等植物」を構成するもの……、つまり木などですね。机や棚などもリグニンでできていますが、こうした家具や木造の物も海にずいぶん流れ出ましたよね。木というと天然有機物、植物ですが、もともと海にはないものです。 これらの物質がどれくらい運ばれてきたかがわかると、他の人工物質とセットで見て、汚染物質が輸送されるメカニズムのヒントがわかることになります。
陸域からの流出物
【図3 陸域からの流出物】

大槌で学ぶ若き研究者たち

メーユ
 こうした調査地点は、どうやって選んでいるのですか?
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 「東北マリンサイエンス拠点形成事業」が始まるもっと前、2011年5月から津田敦教授や永田俊教授のグループ(両者とも東京大学大気海洋研究所に所属)が自主的に調査を始めていた話は聞いていますか? もともと東京大学大気海洋研究所は大槌町の国際沿岸海洋研究センターを拠点にして、他の研究機関と共同利用して研究を進めていましたが、震災が起こった後に、「これはすぐにでも調査を始めないと」と考えて研究者も動き出していました。その時点で水や泥やプランクトンなどを採取しておいてくれたのですが、いくつかそういう物を採るポイントがあって、その時に決めた大槌湾の測点をふまえて、調査地点を決めています。
メーユ
 主に大槌湾ですか? プロジェグランメーユ(東京大学大気海洋研究所グループによる東北マリンサイエンス拠点形成事業)は、岩手県、北三陸の沿岸を拠点にしているチームですけど、小川班は福島県も調査に入っていると聞きました。
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 大槌は湾内だけでなく、湾外にも測点があり、当初は淡青丸、今は新青丸を使って観測を行っています。福島は研究拠点ではありませんが、高田秀重教授が震災前から独自に調査を行っている地点です。
メーユ
 小川班長も、大槌は震災前から通っていたのですか?
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 ええ、それはもう長いです。うちの研究室では前任者の小池勲夫名誉教授(東大・海洋研究所元所長)の頃から、毎年5月に大槌で新入生を対象としたフィールドワークを行っているのです。学部学生の頃は全然違う研究をしていた子も入ってきますから、大槌で船に乗り、水の採り方から試料の処理の仕方など、一からトレーニングをさせます。作法を身に付けたら新青丸など大きな研究調査船に乗せる、大槌は新人教育の場でもあるのですよ。
にっこりメーユ
 大槌が研究の出発点になっている学生も多いのですね。
臨海実習  臨海実習 

調査船「グランメーユ」による大槌湾調査(東京大学新領域創成科学研究科「海洋環境臨海実習」の様子)

三陸の漁業復興のためにも「海の精密検査」を

メーユ
 では、今後の小川班の課題は……?
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 この班の良いと思うところは、専門ごとにグループには分かれているけど、ひとつのサンプルを各グループで分け合って分析しているという結束力なんですよね。これまで別々に分析して得られていた結果を今後はそのデータをつき合せて、統合していくことが当面の課題です。統合したデータに基づいて、深い考察を進めたいです。それにより、今後進めるべき新しい方向性、いろいろな事が見えてくるはずです。
メーユ
 地震と津波による汚染物質の影響が実際に見えてくるのは、これからなのですね。
今後は町の復興にともなって沿岸域に建造物が造られたりするので、その影響も考えないといけないですよね?
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 そうですね。しかし、このプロジェクトを進めていく上で、悩みもあります。
考えるメーユ
 悩み……、というと?
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 このプロジェクトは「漁業の復興に役立てよう、地元ニーズをふまえて推進し成果を還元しよう」というものですが、高感度の検出技術や手法を用いて精査することで、「低い数値であっても“数字”としてデータが公表されたら風評被害につながるから、そんな高感度な分析をされては困る」という声もあると思うんですよ。でもそこをていねいに説明して、それでもこの研究がとても重要なのだということを、理解してもらわなくてはならないと思っているんです。
 今回の未曾有の巨大津波によって陸から海に運ばれたと考えられる様々な汚染物質。仮にその一部が時間の経過に伴いジワジワと堆積物や海水中に溶け出すようなことが起きたとします。おそらく初めはごく微量なので、環境基準値以下でしょう。一方、環境基準値以下の濃度レベルで高感度測定を続けていたところ、その低濃度レベル範囲内でも、時間経過に伴い徐々に濃度が上昇している、あるいは、ある特定の海域でいつも高い、というようなことがわかれば、それが将来的に環境基準値を超えてしまう前に、警鐘をならすことができます。
困ったメーユ
ウーン、悩ましいですね……。漁師さんとしては「あんまり細かいこと、やってくれるな」という本音もあるかもしれない……。
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 これは一つのたとえ話ですけど、ひどい頭痛に襲われたので、町のお医者さんに診てもらったところ、「風邪でしょう。安静にしていればすぐ治ります、大丈夫ですよ」と診断されたとしても、それが今まで経験したことのないような頭痛だったら、たとえ治ったとしてもまだ何か気になる、ということがあるでしょう。それでもう一度、今度は大学病院に行ってCTスキャンとか最先端の医療設備で徹底的に精密検査をして、それでもやっぱり大丈夫だったとわかったら、同じ「大丈夫ですよ」でも安心感が違うと思うんです。われわれは、そういう役目を担っていると思います。
考えるメーユ
 それはたしかにそうですね……。しかし「よくよく調べたら、大丈夫じゃなかった」という結果が待っていることもあり得るわけですよね?
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 ですから悪くなる前に対処しないといけない。「念のため、定期的に検査を続けましょう」ということです。大丈夫じゃないところがわかったら、早くとり除かなくてはならないですから……。
にっこりメーユ
なるほど!
小川先生アイコン
 このプロジェクトの中でも、小川班の仕事は、市民や漁師の皆さんのご理解をいかに得ながら続けていけるか、がとても重要です。そのためにも、ていねいな説明をしていかなければならないと思っています。
メーユ
 信頼関係を築いていくことが、とても大切なのですね。

インタビューを終えて

小川研究室にて
 今回は詳しく触れませんでしたが、小川班長の専門である「溶存有機物」について「なぜその研究を続けているのですか?」とたずねた時、「日々やっていることは水を採ってきて細かい分析をするなど、とても小さなことだけれども、それが地球上の炭素サイクルだとか大きなことにつながるのです」「小さなことをやって、大きなことが見えてくる事に魅力を感じています」という言葉が返ってきました。それを聞いて大リーグのイチロー選手の言葉にも「小さなことを日々続けて、とんでもないところにたどり着く」というのがあったな、と連想しました。日々ミクロな世界を見つめている小川班長の視線の先に、宇宙を感じました。

取材日: 2013 年 11 月 19 日 (構成 / イラスト: 渡部寿賀子)

【番外編】料理上手は分析上手

小川班長に「研究以外で趣味は?」とたずねると「今はほとんどやっていないけれど、学生の頃からやっているのは音楽。ギターとピアノを弾きます。あとは料理かな」。「結構多いですよね? 料理好きな研究者……」とさらに聞くと、こんな答えが返ってきました。「多いと思います。これには持論があってね。研究者に料理好きが多いのは分析化学に通じるためと思う。“料理上手は分析上手”です」。
「分析化学」とは別にしても、料理好きが多い理由をもうひとつ。調査船に乗って調査に出ると、夕食は5時、朝食は7時と決まっているとのこと。結構間があるので何もない時は夜が宴会になるのだそうです。*注)眠る間もないくらい、調査が続く時もあります! 得意な人がつまみを作ったり、船で過ごす間に料理好きになる人も。「船の中で蕎麦を打つ人などもいた」というのは驚きました。
宴